エピローグ

●父のお正月●

この本の執筆に取り組んでいた2012年の年末から2013年の年始にかけて、 私はひとりで過ごすことになり、生まれて初めての「ひとり正月」を迎えました。

「あ~ぁ、とうとうひとりになっちゃった……」と一瞬、寂しさと恥ずかしさがよぎりましたが、それ以上に「うれしい!」という感情がムクムクと湧いていました。

両親がいなくなってから、3回目のお正月。これまで通りに、兄夫婦と実家で過ごすことも可能でした。でも、兄からの「今年はいっか」と言うひと言に、「今年はいい ね」と私も答え、それぞれにお正月を過ごすことにしました。

父が続けてきた我が家の年末年始は、まあ、慌ただしいものでした。とは言っても、 親戚一同が集まるようなことはありませんし、来客もほとんどありません。でも、大 晦日が近づくと、この日にここの掃除をして、この日に買い出しに行ってと、毎年恒例の行事? に、当然のようにつき合わされ、こと細かに指示されていました。年始も家にいないと怒られるので、私は年末年始のスキーや、初詣などには行ったことがありません。友人に誘われるたびに、父を恨んだものです。

私が子どもの頃から、それはほとんど変わらず、私がひとり暮らしを始めても、母が亡くなっても、父の身体が不自由になっても、施設に入っても、父は同じ様に年末年始を過ごそうとしました。短い冬休みや休暇を、父にみっちりつき合わされる年末年始は、私にとっては、一年の中で一番嫌いな季節でした。

 

●私のお正月●

でも、いざ父がいなくなって、これまでのお正月通りに過ごさなくてもいいという 状況になっても、兄と私は実家に集まって、お正月を過ごしました。そして、「去年は どうしたっけ~? 何食べたっけ~?」と、父がいた頃を思い出していたのです。二人 とも、あんなにイヤだと言っていた「父のお正月」なのに、自分達も同じことをやろうとするなんて、「父のお正月の過ごし方」へのとらわれ以外のなにものでもなく、苦笑するしかありません。

両親がいなくなって3回目のお正月、兄も私も実家へは行かず、やっと「父のお正 月」を手放すことができたのかもしれません。

元旦の朝、私はひとりでお雑煮を食べながら、実家のお正月とは比べものにならないくらいのシンプルな食卓に、なんとも言えない解放感を感じました。 寂しい……、ちょっとそんな感情もありました。でも、それ以上に、これまでに感じたことのない解放感に包まれていました。「私って、本当に自由なんだ~!」と、こころの底から思いました。

見方によっては、「負け犬の遠吠え」に聞こえるでしょうか……?(苦笑) でも、どう見えても、どう思われても、
その時、私は自由でした。 そして、これまでずっと、私からこの自由を奪っていたのも、解放してくれたのも、
実は「私自身だった……」とわかりました。 この時ひとりで食べたお雑煮の味は、ずーっと忘れないと思います。

 

●他人を責めない、自分を責めない●

誕生数秘学を知り、スピリチュアルの学びを始めたころ、私のこころにドキュンと落ちて来た言葉があります。

「他人を責めない、自分を責めない」と言う、メンターのお言葉……。

他人を責めることと、自分を責めることは同じこと。
「どうしてそんなことするの!」と他人を責めることで、自分は被害者になり、相手は加害者になります。
「自分のせいで……」と、自分を責めることにより、自分は加害者になり、相手は被害者になる。

この「被害者」と「加害者」の関係を、誰かと続けている限り、どちらも自由にはなれません。
これは、ある意味「共依存」です。

私は、たぶんあの時からずっと……、
親戚の家に預けられて、父が私を迎えにきた時、私に向かって投げたあの言葉を聞いた時からずっと、父を責め続けてきたのだと思います。そして、そんな父に抵抗できない、そんな父から逃れられない自分を責め、そのこころの扉を閉じてしまったのでしょう。

「他人を責めて、自分も責める」 私は「自分自身」にがんじがらめだったのです。

本当の意味で、このことが分かったのは、今この瞬間、そう、今ここにこうして書いている、この瞬間かもしれません。そうだったんですね、私って……。

 

●実践していくことがスピリチュアルに生きること●

「他人を責めない、自分を責めない」というシンプルな教え。この言葉を教えてもらった時から、そんな場面に遭遇するたびに、私はこの言葉を自分に言い聞かせてきました。幸せを感じて生きるための宇宙のルールとでも言えるこのような教えから、それが意味するこころの仕組みを知っていくこと、そして、それを実践していくことが、 「スピリチュアル」だと私は思っています。

誕生数秘学も、「父娘の関係性を癒す」の章でご紹介した、メンターからの課題も、 「スピリチュアルに生きる」ためのツールやテクニックのひとつです。最初からうまく使えなくても、当たり前です。でも、使ってみよう、これをやってみようと思うところから、すべては始まるのかもしれません。

大嫌いな父を残して母は先に逝ってしまいましたが、母が亡くなったことで、私は スピリチュアルな世界に足を突っ込みました。誕生数秘学に出会えたのも、メンターに出会えたのも、母が私を導いてくれていたからだと思っています。

人生初のセミナーで、誘導瞑想の際に私が聞いた「よくがんばっているね……」と 言うメッセージは、母からのものだったかもしれません。

現在、私は自分の会社を設立し代表取締役となりました。まだまだ、自分一人のおぼつかない会社ですが、これからいろいろなことを展開していけると思っています。

専門学校を出てから、医療技術者として病院に約7年勤務しました。すべてがイヤになって、転職の当てもなく病院を辞めました。まったく収入のない時期や、せっかく 仕事に就いたのに、3か月で辞めてしまったところもありました。
ここではちょっとお話しできない恋愛もしました。
そして、ある企業に十数年勤務している間に、誕生数秘学やスピリチュアルを学び、父が亡くなったことをきっかけに、その会社も辞めました。
そこからは、誕生数秘学など、スピリチュアルに関するお仕事をさせて頂いています。

 

●自分を解放するために必要な時間●

私は、スピリチュアルを学び始めてから、しばらくの間「ひらめきノート」のようなものをつけていました。ともかく、思いついたことを自由に書きとめたものです。
こ れはメンターから勧められたものですが、数冊に及ぶそのノートは、書いてある内容を見返すたびに、
恥ずかしくて……、今でもひとりで赤面です。でも、一生懸命に学 ぼうとする、生きていこうとする勢いが感じられて、ジンときます。その一冊目のあるページに、「本を書きたい」と書いてありました。

数年前の私がどんな本を書きたいと思っていたのかは、恥ずかしいのでヒミツです。その後の数冊にも、
たびたび「本を書く」と書いてあります。
自分では、そんなに意識していたつもりはないので、当時のメモは誰かの差し金かもしれませんね。

でも、夢が叶ったね……って、当時の私に声をかけてあげました。

誕生数秘学を知り、スピリチュアルを学んできたこの約9年間を振り返ると、私にとっては、亡くなった母を含め、
家族や自分と向き合うための時間でした。
それは、がんじがらめになっていた自分を解放するために必要な時間でもありました。

一方で、私は、自分の社会的な立場も、こんなに変わっていたことに、とても驚い ています。まさか、自分の会社も持つことになるなんて。しかもこうして、本を書かせて頂けるなんて。その上、その内容が父に関することだなんて……、
まったく! 生きていると何が起こるかわかりません!

この本を書き上げることができたのは、さまざまなラッキーと、さまざまな方からの温かいご支援のお陰です。
私にとっては、奇蹟でしかありません。

担当の編集者の方に、「ともかく自由に書いてください……」とメールをいただいた時には、PCの前で号泣しました。
それは、何に対してだかわかりませんが、大いなる何ものかに、生きてきたことを 「ゆるされた」気持ちでした。そして、原稿を書きながら、悔しい気持ちや悲しい気持ちで父を思いだしては、涙が止まらないこともありました。こうして、この本に取り組めたことで、父に対する思いも、涙も、全部出し切りました。

本当に、ありがたいことだと感謝しています。

 

●まだまだ、これからの私●

そうは言っても、たくさんの課題を残している私も、まだまだこれからです。でも、急いだりはしません。だって、生まれてきた目的とか使命なんかは、生きている間には、きっと答えなんて見つかりませんから。そんなもの、見つかっちゃったら、これが答えだ!って、答えを出しちゃたら、それで終わりじゃないですか?(笑)。
まだまだ……な私だから、こうして楽しく生きているんです、きっとね……。

いま、私が思い出す、父との思い出は、母のお墓参りの後、兄と義姉と私の3人で、父のいる施設へ寄った時のことです。父は、義姉に対しても、日頃からずいぶんと酷いことを言っていたので、こうして家族が集まることは、父がまたヘンなことをいい出すのではないかと、緊張する場面 です。

しかしこの日は、決して広くはない父の部屋で、お土産に買っていった和菓子を囲んで、4人で膝を突き合わせてお茶を飲みました。大した会話もありませんでしたが、 昼下がりのとても穏やかな時間でした。その時、私はなんだかうれしくて、こうやって少しずつ、みんなが変わっていくことは出来るんだなと気づくことができました。

でも……、その時ひとつだけ残念だったのは、そこに母がいなかったこと……。

(お母さん、もうちょっとこっちの世界にいれば良かったのに……。あ、でも、お母さんがこうなることをサポートしてくれたんだよね、ありがとうございます……。)

目に見えるもの見えないもの、すべてのものに感謝いたします。

そしてなによりも、この本を手にとって最後までお読み頂いた、いま目の前のあなたに、こころより感謝いたします。
ありがとうございます。

つばき紀子 拝