生まれてきて良かったんだと・・・
こんにちは、つばきです。すっかり春ですね~。花粉がいっぱい飛んでいるので、せっかくの春にマスクがかかせないのは残念です^^;
4月は、スギだけでなくヒノキの花粉も飛んでいるそうで、目がカユカユです(>_<)
スギもヒノキも、木はイイにおいなのにな~と思う春のこの頃です。
もう、先月のコトになってしまいますが、3月27日に喜多川恵凛さんのお話会でゲストスピーカーとしてお話をさせていただいてきました。
今回のご参加はおひとりだったので、たっぷりとお話をお聞きして、こちらからもたっぷりとお話をさせていただけました。
家系や家族のことは、同じような傾向のことはあっても、思いは人それぞれ。思わぬ話も飛び出します。なので、大勢でお話するよりも、少ない人数またはおひとりとゆっくりお話しできる方が合っているかもしれません。
どんなお話になったかは、とてもプライベートなコトなので、コチラに書くのは控えようと思います(^^)
ただ、今回のお話会では、話していたわたし自身がとっても癒されてしまった場面があったので、そのことをちょこっと書こうと思います。
これは、拙書『ゆるし』の中にも書いたエピソードです。
わたしの両親が、ともに病院に入院中だった時のこと。かなり容態の悪くなった母に、父が会いたいと言いだしたことがありました。
父も脳梗塞の後遺症で車いす状態。どうやって・・・というわたしの不安を、従姉夫婦がサポートしてくれて、父は母に面会することができました。
車いすを母のベットに近づけると、意識も薄らいでいる母に向かって父はこう言いました。
「がんばらなくちゃダメじゃないか・・・」と。
この一言を聞いた後、わたしは席を外したので、この後にどんな会話があったのかはわかりません。
でも、この何気ない一言が、わたしにとっては救いになったのです。
わたしが小さい頃から仲が悪かった両親は、ひどい喧嘩を繰り返していました。暴力はなかったものの、その言葉にはずいぶんと傷つきました。
部屋の出窓から空を見上げて、「どうして・・・」と自分でもわからない問いかけをしていた学生の頃。両親の離婚をこころの底から願った日々でした。
そして、わたしにとっては、この世で両親がふたりそろった最後の場面。
そこで父が母へ向けたひと言「がんばらなくちゃダメじゃないか・・・」は、わたしが問い続けていたことと、その答えを教えてくれたような気がしています。
父が母に対して励ましの言葉をかけたのは、わたしの記憶ではこの時が最初で最後でした。そして、この言葉を聞いた時、はじめて父から母への愛情が感じられたのです。
「どうして・・・」の問いかけの続きは、「どうしてここに生まれちゃったんだろう」だったのだと思います。
そして、喧嘩ばかりしていた両親にも、人としての愛情というものがあったのだなと思えた時、「このふたりのもとに、この世に、生まれてきて良かったのだ」という答えが出せたのだと、そんなことに最近やっと気づきました。
ふたりそろった最後に、わたしに答えを出させてくれた両親。でも、こんなふうに思えるようになったのは、父がなくなってから数年経ってからのこと。
もし、まだ父が生きていたら、いまだに戦っていると思います^^;
どこかに、わたしと同じように両親の仲が悪くて、生まれてきた意味を見失っている子がいるでしょうか。
たとえ不仲な両親であっても、どんなことでもどんな言葉でもいいから、自分は生まれてきて良かったのだと思えるようなことを見つけて欲しいなと思います。
お父さんとお母さんがひととして認めあえたから、そこに愛があったから自分は生まれたのだと。
他の人にとってはなにげない父のひと言であっても、その一言によって、わたしは生まれてきて良かったと本当に思えたから・・・。
こころよりすべてに感謝。つばき紀子
2018年4月5日