メールだから伝わってしまうこと
こんばんは~、つばきです。今朝は、寒かったですね~^^;
それでも日中は快晴だったので、日当たりの良い部屋では、ほとんど暖房をつけませんでしたけど。
(ケチではありませんっ 苦笑)
最近、よく映画を観に行きます。
先日の「永遠の0」に続き、「小さいおうち」も観てきました。
どちらも戦争が時代背景にあるという共通点のある映画ですが、観終わったあとの感じはまったく異なりました。涙の出所が違う…って感じです。
まだ公開間もないので、もちろん内容は書きませんけれど、淡々と流れるストーリーにちょっとした残念感?を感じつつ、そこは巨匠と言われる監督の映画。後半から、なんとも言えない、いろんな感情が浮かんできました。
印象に残っているのは、一通の手紙なのですが、「永遠の0」も「小さいおうち」も、
その時代だからこその「ものがたり」なのだろうと思います。
当時は手紙という手段しかなかったけれど、もし今のようにメールという手段があれば、
その「ものがたり」は、きっと違うものになっていたでしょう。
手間暇かかる手書きの「手紙」と、ある意味簡単に伝えられる「メール」では、
たとえ同じ内容であっても、伝わるものも違うかもしれませんし…。
先日、ある方からメールで質問をされて、「答えたくない…」と返事をしました。
特に隠しごともないわたしにとっては、めずらしいことです^^;
大抵のことは、あっけらかんと答えてしまいますから(笑)。
でも、この時は、相手からのメールを読んでいて、誠実さが感じられなかったのです。
それは、とても些細なことかもしれません。
そんなことイチイチ気にされていたらカナワナイよ~って言われちゃうかもしれません^^;
でも、メールだから伝わってしまうものってあるんじゃないでしょうか?
特に、相手から自分の真意を聞かれるような内容の時には、なおさら…。
わたしは、そのメールの相手を、どうでもイイ人だなんてまったく思っていません。
どうでもよかったら、適当に答えておきます。そうじゃないからこそ、素直にお返事をしました。
それもまた、相手にどう伝わるのかはわかりませんが、
こうやって、自分の気持ちに素直に正直に答えていくことは、「自分を大切にすること」のように思えます。
本当に自分を大切にする行動が、相手を痛めつける行動になるはずはない…と、最近は本気で思えるのです。もし、相手が傷を負ってしまったのなら、また自分も傷を負っているに違いありません。
その時には、自分の気持ちを、見つめ直す必要があるのでしょう。
おぼつかない、言葉少ないメールでも、愛がいっぱい伝わってくるメールもあります。
目の前に姿はなくても、ちゃんと相手を感じられたら、それだけで幸せです。
いろいろ面倒なこともあるけれど、人間関係って、そもそもそういうもんじゃないかなぁ…と思う、
今日このごろです^^
こころよりすべてに感謝。つばき紀子
2014年1月27日