ゆるし…につながる思いやり
こんにちは、つばきです。ちょっと寒いけど、晴天の日が続きますね。
お肌はどんどん乾燥しますけど^^;
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昨日は、いま話題の映画『清州会議』を観てきました。
『ステキな金縛り』といい、三谷監督の作品は喜怒哀楽全部が楽しめて、なかでも「楽」のセンスがスバラシイので大好きです。
歴史はキライではないのですが、年号も出来事も人物も、たくさんありすぎて覚えられません^^;
でも、歴史的なことって、結局は「良くらからない」とか「~と言われている」と言われていて、「真実」なんてほとんど伝わっていないんだろうな~と思います。
人の記憶には感情が伴うわけだから、受け取った人のイイように、また次へと伝わっていきます。
歴史を題材にした書籍も、著者の捉え方によって人物の表現が違ってきますもんね。
ゲームもやらないし、授業はほとんど覚えてないし、歴史上の人物にはホント疎いわたしですが、それでも有名どころの武将のなかでは、秀吉派なんです。
晩年の秀吉は、まったくいただけないけれど、わらじを懐で温めるとか、あの手この手でひとの気を引こうとするところは嫌いじゃありません。
だって、それだけひとのこころがわかるってことでしょ?
『清州会議』の中の秀吉も、やりたい放題のキャラで描かれていましたが、どんなひどいことをしても、どんなにわざとらしくても、最後には相手をあきれさせてしまうところが、秀吉の相手に対する思いやりに思えるんです。
『清州会議』で負けた柴田勝家が国へ帰るところを追いかけて、寧々と一緒に土下座をするシーン。
そんなシーンが実際にあったかどうかはわからないけれど、自分がボロボロにした相手に対し、「あなたがいなければ…」とアタマを下げることって、単なる腹黒さだけでは出来ないことなんじゃないかな…。
でも、その後、やっぱり討たれてしまうわけだから、やっぱり単なる腹黒さだったかもね。(苦笑)
このシーンを観ていて、ふと思い出したのはAKB48の総選挙。とんでもない事態が起こった総選挙を、最後には笑いで納めたサシハラさんをスゴイな~と感じたのと同じ感じ。
自分の野心やエゴで、ひとをだましたり落としいれたりするのはイカン!と思います。本当に。
でも、人間誰だってエゴはあるんだから、「それはエゴです!」なんて言うのは簡単だけど、じゃあそのエゴを爆発しちゃったあと、どうするか?ってこと。
秀吉も、信長亡きあと、「自分のほかに誰がいる?」と天下をねらうエゴ丸出しの態度だったけど、昨日は改めて、確かに他にはいなかったよね…って思いました。
歴史が動く(これまでにないことが起こる)ときは、傷つく(負けた)ひとがでるのも仕方ないのかもしれません。でも、それでもトップに立つのなら、負けた相手が少しでも勝った相手をゆるす道を作っておいて欲しいです。
「ゆるせない」という感情を、深く植えつけてしまうことこそ、最悪です。
「ゆるせない感情」を持つもの、その感情を「ゆるしていく」のも自分にしかできないことです。
でも、ウソでも何でもいいから、自分を下げて相手に余裕を持たせること、安心感を持たせることは、ある意味で相手に対する思いやりだとわたしは思うんです。
だって、それがウソだなんてことは、きっと相手はわかっていますから…。
誰を蹴落としたって、潰したっていいけれど、人間として「ゆるしにつながる光」を見せておいて欲しい…。そのくらいの懐の大きさを持てないんなら、トップになんてならない方がイイ…。
そんなことを思った『清州会議』でした^^;
こころよりすべてに感謝。つばき紀子
2013年11月21日